モノクロ・フォトエッセイ:橋本 文夫


「おやじがいた頃の写真の話し」

 夢をみていた
 初めておやじの暗室に入った時のことを
 小学校4年の時だったと思う
 橙いセーフライトの下で焼付したプリントが現像液の中で浮かびあがって
 くるのをドキドキしてみている夢だった。

その時のモノクロネガフィルムに写っていたのは独立美術協会の山田文子画伯のポートレートだった。そのころ僕は絵描きになりたくて山田先生の元に通って いた。おやじは引伸し機の前でそのネガを何通りにも焼いて「うーん」と言っては又焼き直し、延々3時間位だったと思う。8x10サイズのプリントは30枚 位、ストップ液の中に溜まっていたように思う。小学4年の僕には覆い焼き、焼き込みなど解らずに、何と無駄な事をしているのかなあと思った。定着、水洗と 仕上げになり、濡れた写真を1枚1枚白い紙の上にのせ、白いタオルで拭き上げ、天井から吊ったクリップに干していった。翌日その乾いた写真を僕に見せ「文 夫はどの写真が好きか」と問われ、30枚余りの写真は同じように見え返事ができなかった。
今、自分で暗室に入りプリントしていると、その時のおやじの無駄な行為と見えた事が理解できるような気がします。そして僕も又、同じような事をしている。
おやじは10年前に逝ってしまったけれど、写真一徹の人でした。ネルソン金調色、セピア調色、着色調色などやっていたおやじを見て、自分が今当たり前の ようにやれるのはその頃見ていたモノクロ写真の素晴らしさかもしれない。デジタルやRCペーパーでは味わえないバライタ印画紙特有の、深く暗い中にある階 調や輝くようなあの白さはバライタ印画紙だから出せる調子なのだと思う。その調子を教えてくれたのもおやじの写真だった。その時の8x10のポートレート が、後日全紙サイズとなりスタジオに飾ってあった。今はおやじの形見、僕の宝物として部屋に飾ってある。47年経った今も変褪色せず、額に入っています。 もしおやじが生きていて、僕が変色も褪色もせずちゃんと写真が残っている「さすがだね」と言っても、おやじは「あたりまえだよ」の一言だと思う。その当た り前が今の時代にはむつかしいようです。

hashimoto

橋本文夫/銀・ギラ・Ag 2006写真展出品「阿蘇」より


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